チェンマイの戦没者慰霊祭『バーンガート会場』
8月15日の終戦記念日、チェンマイでは2つの会場で戦没者慰霊祭が行なわれました。私は去年は旧市街から南側にあるムーンサーン寺の慰霊祭に参加していましたが、今年はメーワン郡にあるバーンガート慰霊祭に参加いたしました。1944年のインパール作戦での戦没者の慰霊碑がこのチェンマイには2ヵ所あります。インパール作戦とは、東亜戦争の末期、日本軍により実施された東インドのインパールに対する進攻作戦(ウ号作戦と呼称)。同方面を根拠地とするイギリス・インド軍のビルマ(現ミャンマー)進攻作戦を未然に防止し、あわせてチャンドラ・ボースの自由インド仮政府支援のため、インド領内における足場を確保することを目的として計画され、1944年(昭和19)1月、大本営の認可するところとなった。同作戦を担当した第一五軍(司令官牟田口廉也(むたぐちれんや)中将は、同年3月に行動を開始し、4月にはインパール付近の地点にまで進出したが、航空兵力の支援を受けたイギリス・インド軍の強力な反撃と給の途絶とによって、しだいに守勢に回り、7月には退却命令が下され、飢えと病気により多数の将兵を失った悲惨な退却戦が開始される(死傷者数7万2000人)。日本軍の戦闘能力を過信し、補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。バーンガート戦没者慰霊碑です。
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