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新聖具室~メディチ家礼拝堂

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こちらは同じくメディチ家礼拝堂内の新聖具室。時代的には、前の記事でご紹介した「君主の礼拝堂」よりも100年近く前、1521年から1534年の間にミケランジェロによって作られました。内装建築はブルネッレスキによって設計された旧聖具室のスタイルに従っています。


ウルビーノ公ロレンツォの霊廟
「曙と黄昏」





ネムール公ジュリア―ノの霊廟
「夜と昼」





白い壁面とピエトラ・セレーナのグレーの調和が素晴らしい建築空間。

ここの地下には、公開はされていませんが、フィレンツェが包囲された際に、ミケランジェロが身を潜めていたと言われる地下室もあります。フィレンツェ共和国軍に加担していたミケランジェロは、その後、共和国軍が教皇軍に敗れた際に、当時の教皇クレメンス7世の命で、恩赦を受ける代わりに、これらの彫像を完成させることを要求されましたが、クレメンス7世の死後、彼はローマへ逃亡してしまいました。未完のままだった彫像群は、コジモ1世の依頼を受けた彫刻家達の手によって組み立てられたのだそうです。




祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

その後、コジモ1世も結局は亡くなり、豪華な「君主

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